このエッセイは隔週連載なのだが、正直言って毎回ネタ探しに苦労する。この2週間、特にネタになりそうな出来事がなかったので、今回は私が自分のお店を持つに至った話をしようと思う。
私のホステスデビューは30歳の時。パートの主婦だった私がホステスのアルバイトを始めたのは、離婚を考えてのことだった。最初の頃は週末のみの出勤で、夫と別居を開始してから平日も働くようになった。
最初は与那原町から始まって、那覇市国場、久米、久茂地とだんだんと中心部へと働くお店を移って行くにつれて時給もアップしていった。「いつかは自分のお店を持ちたい」なんて気持ちも特になく、ただただ日々の生活に追われるだけだったけど、最後に働いた久茂地のクラブでの出来事が突如私が独立するきっかけになった。
そこはクラブというだけあって、ちょっとした高級店だった。田舎者の私の性分には合わなかったが時給は高かった。性分には合わなくても仕事は頑張るタイプなので、売り上げは常にお店のナンバー2だった。
そんなある日、そのクラブのママさんがお店を辞めてしまった。雇われママだったのでそんなこともあるのだろう。そして私は気付いてしまった。ママさんが辞めたことで私はお店で1番の年長者になったのだ。その時33歳。
将来のことなど全然考えられず日々に追われながらもクラブの高い時給に満足していた私だが、33歳にして1番の年長者ということは、現在いくらナンバー2でも、5年後10年後この飲み屋業界でいつまでも雇ってもらえる保証はないのだと初めて考えるようになった。
そうだ! 自分でリーズナブルな飲み屋をやろう! クラブの高級感には、私も座り心地が悪かったのでちょうどいい!
思い立ったら行動は早い。物件を探し、社交組合に入って開店への手続きを進め、100円均一でグラスや灰皿やその他いろいろを買い揃え、看板屋さんや名刺屋さんと会い、夜はクラブでの仕事の後、朝方まで与那原の飲み屋街でも働いた。少しでも開業資金を稼ぐためだ。
那覇のクラブ仕様のドレスと当時流行っていた盛り盛りのヘアセットは、与那原の飲み屋街ではかなり浮いていたと思う。しかしそんなこんなで思い立ってから2ヶ月足らずでお店をオープン出来た。
あれから早16年。有難いことに1度も赤字を出さずにやってこれたのは、出会いの運の良さに尽きる。あの日あの時あの場所で、あのお客さん方々に出会わなければ、今の私はどうなっていたことか……。



